車は段々と山の中へ入っていく。運転手は、慣れた手つきで車を右へ、左へと走らせて行く。私は窓の上の握り手を持ち、振り回されないようにしながら周りの景色を見る。すっかり枯れた川が道に沿ったり離れたりしている。辺りに人の気配はない。対向車とすれ違ったのは、どれくらい前になるだろうか。今ここにいるのは、私と、運転手だけである。
「このあたりに来っとさぁ、コイツも役立たずなんだよなぁ」
 運転手は、メーターの上に設置された、カーナビの隅を指で弾いた。かつっという湿った音が、車の中に響いた。
「あーでも、大丈夫だから。俺ぁもう10年以上転がしてるから、慣れてっからよ」
 運転手はハンドルを持ち換えて、大きなカーブに備えた。私もしっかりと握り手を持った。ふいに大きなダンプが見えたが、運転手は巧みにすり抜けた。
「このあたりはヤツらの抜け道なんだよぉ。警察も来やしねぇから、積み過ぎのヤツらはこっちを通るんだぁ」
 段々と山の中に入っていく。一見何もなく見える丁字路を、運転手は見逃さなかった。そして運転手は、ウィンカーを出して丁字路を山の中へ向けて入っていった。
「三峠に行くなら、あそこ間違えると着かねぇんだ。最近乗り出した若ぇヤツらは、あそこわかんねぇよぉ?」
 私は見覚えのある山道に入ったことで、ほっとした。どうやら、この運転手なら三峠へ行くことが出来るだろう。幾つかの心配事の一つは、タクシーの運転手が三峠への道を知っているかどうかだった。ふとカーナビの画面を見ると、山の中の道でない場所を走ったと思えば、近くの道を走ったりと忙しい。運転手が心許無ければ、カーナビに三峠を入れれば良いのではないかと考えていたが、間違いだった。しかし、有難いことにこの運転手は、三峠への道をしっかりと理解しているようだ。
 ダッシュボードの時計は、午後3時50分を示している。辺りは高い木々に囲まれているので、およそそんな時間とは思えない。私は自分の腕時計を見た。矢張り午後3時50分であった。…三峠とは、かように人里離れ、そして薄暗い道を走らねば着かない、不便な場所だ。20年前はまだ汽車もあったが、先の方でがけ崩れが数年前に起こり、それから復旧していない。汽車はがけ崩れの手前までになってしまった。汽車の本数は一気に減り、今と成っては早朝に1本、1両だけの汽車が往復するだけになってしまった。そして車は、相変わらず大きな木々に囲まれた細い山道を、右へ左へと進んで行く。運転手はふいにライトを点けると、ハイビームにした。
「鹿だの狸だのが出っからよぉ、驚かせてやんねぇとあぶねーんだ」
 運転手はそう言うと、クラクションをぶ、ぶーと鳴らした。辺りは変わらずしん、としている。山の中なのに、風すら吹かないようだ。季節によっては峠おろしという、突風が吹くこともある。どうやら今の季節は心配が無い様子だ。メーターは既に1万6千円を超えている。運転手にはその倍以上の金を封筒に入れて渡してあるので、メーターを心配する様子はない。そしてその金額で、わたしは段々と三峠へ近づいていることを理解した。