サイレンの音は、どんどん近づいてくる。目の前に薄汚れた救急車が止まると、浅黒い顔をした初老の救急隊員が降りて来た。
「病人はどこかねぇ」
「それが…ないんだ。消えているんだ。」
「あなた何言ってるかねぇ。」
「ここに、乗車券発売所があったはずなんだ。…あなたも知っているだろう?」
「発売所ぉ?」
 救急隊員は、信じられないといった顔をして、私を見つめた。
「ここは、山火事の時に俺らが車止める所だぁ。三峠は堺だから、ここは連絡所になるんだぁ。そんな所に、乗車券発売所なんか建つ訳がねぇよぉ」
 救急隊員はそう言うと、私の顔をじぃっと見つめた。
「あんたが真っ青だぁ。んにゃ、俺ぁ長いからわかる。あんたが危ねぇよぉ。まず車に乗って。ほら」
 救急隊員にせかされるままに救急車に乗り込んだ。
「ほらシャッツ、前開けて。おーいやっさぁん。市立病院すぐ無線入れてくれよぉ」
 胸に電極をつけられたり、指先になにかをつけられたり、血圧を測られたりしているうちに、ある記憶がない事に気づいた。三峠に来たのはいつ、どうやってだろうか…?
「やっさぁん、128の88、サチュレーションがルームで98、レベルはⅠの1だけど軽い見当識障害ありぃ、サイナスだって無線入れてくれよぉ」
「わかったよぉ」
 そして救急隊員は私の方を向いた。
「…キツネかぁ?じぃさんに聞いたことがあるなぁ。三峠にはキツネいるって」
「キツネ?」
「人をよぉ、騙すから三峠にはだーれも住まねぇって。ほごの駅だって、キツネがおっかねぇって、国鉄の偉い人がだーれもいねぇのに作ったってじぃさん言ってたなぁ。もぉーっとも、最近キツネみたのだーれもいねぇ」
「隊長ぉ!市立来てくれって無線来たぁ」
「すぐ回してよぉ!」
 救急車はサイレンを鳴らすと、峠を越して隣の市へ入っていった。市立病院で緊急検査を受けたところ、脳梗塞が見つかり、数か月入院することになった。…救急車を呼んだ履歴が消防署に無いが、何もしていなければ死んでいたと担当医が説明した。私はその病院で診断書を取った。…和恵と最後にいた日を、正確に残すためだ。