「あーなにか刺激が欲しい」
 御木本先輩が、飲んでいたジュースのストローをくわえたまま、椅子の背にどっかともたれて、手を頭の後ろで組んでいた。
「欲しければ、作ればいいんじゃない?『刺激』」
 浅野先輩が、読んでいた本から目をはなさずに答えた。そういえば、浅野先輩はいつも本を読んでいるけど、何を読んでいるかはわからない。いつも本には茶色い革のカバーがかかっているからだ。…一回覗き込んじゃったことがあるけど、何か字がいっぱいで、よくわからなかった。ただ、小説とかじゃないことだけはわかった。
「はほえばはにおー」
 御木本先輩は、本当に手持ちぶさた、っていう感じで、ストローを口の中でかみつぶしていた。…今の言葉は、「たとえばなによー」と言いたかったんだろう。
「真子は部長じゃない?そして、去年の生徒会役員選挙に出た、とかね」
「じょうだん!」
 御木本先輩がとつぜん椅子から立ち上がって、浅野先輩の方を見た。…右手にはぐちゃぐちゃになったストローが握られている。
「よくわかんない多数決で、むりやり候補にさせられたんだから!演説だって、やる気がないことがわかっちゃうと先生に怒られるから、三日は夜遅くまで原稿書いたんだから!」
 すると、そんなことは気にもかけていないという風に、浅野先輩がページをめくりながら答えた。
「…にしては、まんざらでもなかったように見えたわよ、選挙演説。青春よねー、生徒会役員選挙」
「…茶化すつもり…?」
 御木本先輩がだんだんとヒートアップしてきているのがわかる。対して浅野先輩は、そんなの気にしていない、という風に、本から目を話す様子はない。…用事があるって言ってここを離れちゃおうか、一瞬考えた。
「その時さ、演説の原稿を書いてくれる人がいたとしたら?」
「…どういうこと?」
 座っていた椅子をくるりと返して、椅子の背中に肘をついて、御木本先輩が浅野先輩を見つめた。
「つまり、選挙のブレインがいたら、ってことよ。真子がひとりで苦労するんじゃなくって、みんなでできたら、ってこと。…そしてもうすぐ、生徒会役員選挙が始まる。『刺激』としてはじゅうぶん、なんじゃない?」
「そういえば」私はつい口をはさんでしまった。
「クラスのうわさで聞いたんですけど、何かすごい演説をした人がいる、って」
「あー、あの人か」
 浅野先輩は本を閉じて、私の方を見た。
「あの人は特別というか、天性よね。才能。あの演説、原稿どおりじゃなかったんだから。ううん、原稿になかった、が正解かな」
「なんで幸がそこまで知ってるのよ?」
 御木本先輩が、浅野先輩に向かって、いかにも疑っている風に聞いた。…確かにそうだ。私もなんで?って思うし。
「去年の選挙管理委員、私がやったから」
『えーっ!』
 御木本先輩と私は、声をそろえて驚いた。…来月が生徒会役員選挙で、そろそろ生徒会役員選挙のうわさが立つころ。そのうわさの中で先輩たちから聞いた話だと、目立たないし、やることだけはいっぱいあるしで、誰もやりたがらないのが、選挙管理委員だって聞いていたから。
「つまりよ?」
 浅野先輩は本をかばんにしまって、私たちの方を向いて座りなおした。
「刺激を求めている二年生がいる。夏の野球部の応援まではまだ間がある。その間に生徒会役員選挙がある。…そして、選挙のことに関しては詳しい人間がいる。で、岡山さん」
突然名前を呼ばれたのでびっくりして、危うく立ち上がるところだった。
「私が、なにか?」
「確か日記をつけてるのよね?」
 うっ、と私は思った。確かに、毎日日記をつけてから寝るのが私の習慣だけど、この話題になんで私の日記が、って思った。
「日記はつけてますけど、それが何か」
「毎日自分の文章を書いている、ってことよね?」
「文章なんて、そんなりっぱな物ではないです」
 浅野先輩は何を考えているかさっぱりわからない。ただわかることは、浅野先輩の頭の中には、何かの考えがある、ということ。浅野先輩は窓の方を見ながら言った。
「日記ということは、自然と文章のトレーニングをしているってことよ。無意識にね。岡山さん、国語の成績悪くないでしょ?」
「不得意では、ないです」
 浅野先輩は何か面白いおもちゃを見つけたように私を見た。そして、
「ということは、真子の選挙演説の原稿も、書けそう。そうよね?」
「むりです!!」
 私は思わず立ち上がって叫んだ。人に見せるための文なんて書いたことないし。それが選挙演説の原稿なんて。
 浅野先輩は、私の驚きは気にしないという風に、話を続けていった。
「ほら真子、揃ったでしょ。部長として部をまとめているという実績、今の吹奏楽部は決して小さな部じゃないから、リーダーシップとしてはじゅうぶん、ってこと。そして真子が苦労した演説の原稿、これは岡山さんが書いてくれそう。で、選挙活動については私が知っている。『刺激』としてはりっぱ、だと思うけど?どうせ立候補者なんて出ないでしょ?」
「そりゃあ」御木本先輩が浅野先輩を見つめて言った。「…多数決の推薦、だいたいうちの学校ではそうじゃない?」
「じゃ、立候補しちゃえばいい」
『えーっ!』
 御木本先輩と私は声をそろえて言った。今日は何回、浅野先輩に驚かされるんだろう。
「ひとりで立候補、だと誰だっていやだけど。ほら、ここにはもう、二人手を貸してくれる人がいる。私と、岡山さん。バックアップ体制としてはかなりのものだと思うけど?」
 何かすごいことに巻き込まれている、それだけはわかった。
「ひとりじゃないんだったら」
 御木本先輩は立ち上がって言った。
「最後のチャンスだから、出るか!生徒会役員選挙!」
 これが学校を巻き込んだ大きな波になるとは、私も、御木本先輩も気づいていなかった。けれども、浅野先輩だけは「最後のゴール」をその時見ていたんだろう。不思議なことに、その時楽器を練習している子は誰もいなかった。