私には、「壮大なる計画」がある。今の日本で、高校生で、こんな計画を思いつく人間は少ないと思う。けど、やりたい。いや、やってみたい。
 まず私は、集団としてまとまりがあって、かつ人数も多すぎず少なすぎず、そして「がちがち」ではない、「吹奏楽部」を選んだ。体育会系では難しい。先輩の言うことは第一だし、何より「目標ががちがちに設定」されている。私の計画が入り込む余地がない。私は、学校見学の時から色々な吹奏楽部を見て来た。コンクールに向かって猛練習をしているところ、少ない人数で仲良しごっこをしているところ、どれも「計画」には不適当、と私は判断した。この学校の学校見学で、吹奏楽部の雰囲気を見たとき、「ここだ」と思った。コンクールや定期演奏会は行っているけど、「がちがち」ではなかった。部の雰囲気は柔らかくて、先輩は優しかった。たぶんここでなら、私の「計画」は実現するかもしれない、と思った。
 入学後、私は「目立たないこと」を常に意識した。けれど、目立たな過ぎて友だちがいない、これは「計画」には致命的。私はクラスで、吹奏楽部で、声をかけてくれた人には必ず良い印象を残すようにすることを忘れなかった。おかげで、「人なみ」の友だちができた。第一の目的は達成された、と言えるだろう。
 そして、三年間と言う短い期間をどう使うか考えた。真っ先に生徒会役員ということも考えたが、あえてしなかった。そう、上級生の存在。スタンドプレイが過ぎると浮いてしまうし、なにより「計画」に気づかれてしまう。
 そこに見えたのが「選挙管理委員」だった。生徒会を思い通りに動かすためには、まず「選挙」に勝たなくてはいけない。「選挙を知ること」に関しては、選挙管理委員は最も適した手段だった。運よくだれも希望者がいなかったので、あっさり選挙管理委員になることができた。そこで私は、資料集めに徹した。生徒会役員選挙では、ものすごい量のプリントを作る必要があった。なので、私が印刷室に出入りしていることは、どの先生も疑わなかった。選挙案内から選挙公示、投票用紙作成、そして投票結果まで、私は印刷室へは出入り自由だった。そこで少しずつ、「公正な選挙をたもつために」残されていた、過去の選挙演説の原稿や、何よりその時の選挙演説の原稿の写しを作って、自分の部屋にファイリングすることができた。…次回選挙へは、ものすごいアドバンテージだ。
 吹奏楽部員としても、目立たず下手過ぎず、「ワンオブゼム」に徹した。演奏会への準備さえできていれば、空いた時間に何をしていても何も言われなかった。他の楽器を演奏してみる人、おしゃべりに夢中になる人の中で、わたしは「本好き」という立場を得ることができた。もちろん「古典」を読みこなすためだ。私は駅のそばの大きな本屋で、おこづかいをはたいて、茶色い、厚い革のブックカバーを手に入れた。少し大きな文庫でも、タイトルは誰にも気づかれることはなかった。そして、機が熟すのをじっと待っていた。熟さなければ、自分が矢面に立つこと、ここまで覚悟していた。
 そこにきて真子の「刺激が欲しい」は最高のチャンスだった。真子は吹奏楽部長としてリーダシップがあり、裏表がなく、さっぱりしていた。何より、「流されやすい」。私はあの時、本を読むふりをして頭をフル回転させ、どう出れば真子が乗ってくるか、それだけに集中した。仲間がいる、そうひらめいたときに後輩の岡山さんが使える、と判断した。私と真子になついて、いつもそばにいたし、何より日記を書いていた。しかも、毎日欠かさず。「資料」を検討した結果、「結果を出す文章」を書くには、とにかく文章を書くトレーニングが必要と言う結論に達していた私にとって、いつか必ず「巻き込む」べき、そう判断していた。もちろん、「計画」を思いついてから、私も文章トレーニングに励んでいたことは言うまでもないだろう。問題はいつ巻き込むか、だった。そしてそれは成功した。
 真子―岡山さん―私という関係を考えると、動いてもらうのは真子と岡山さん、私はアドバイスと言う名目で、表に立たず、二人を動かすことに集中すればいい。表に出るのは、きちんと第一段階が終わってから。私は「計画」の第一段階が実行に移ったことを、その時確信していた。